日本はフィジカルAIで巻き返せるか 経産省が掲げる20兆円市場と米中の強み

はじめに

米国と中国が生成AIへの投資を拡大するなか、日本政府は「フィジカルAI」と呼ばれる分野を重視しています。

フィジカルAIとは、文章や画像を生成するだけでなく、現実世界の状況を認識し、判断し、ロボットや機械を動かすAIです。

経済産業省を中心とする関係府省は、2026年3月にAIロボティクス戦略を公表しました。2040年に世界市場の30%超、約20兆円を獲得し、米国、中国に続く「第三極」を目指す方針です。

ただし、フィジカルAIは、日本だけが強みを持つ安全な市場ではありません。

米国はAIモデル、半導体、計算資源で先行しています。中国はロボットの導入台数、量産力、部品供給網、データ収集体制を拡大しています。

日本が製造業の蓄積を競争力に変えられるかが問われています。

背景と概要

フィジカルAIとは何か

生成AIの多くは、文章、画像、音声、映像などを処理し、画面の中で結果を返します。

これに対して、フィジカルAIは、センサーやカメラから現実世界の情報を受け取り、状況を判断し、機械の動作へ反映します。

対象となる分野は幅広くあります。

  • 工場で部品を組み立てる産業用ロボット
  • 倉庫で荷物を運ぶ物流ロボット
  • 高齢者を支援する介護ロボット
  • 建設現場で作業する自律型機械
  • 災害現場で活動する遠隔操作ロボット
  • 自動運転車
  • 家庭内で作業するサービスロボット

経済産業省は、AIモデルだけでなく、半導体、センサー、制御装置、駆動部品、クラウド、現場データを組み合わせた仕組みを「フィジカル・インテリジェント・システム」と位置付けています。[1]

AIモデル単体の性能だけではなく、現実世界で安全に動作させる総合力が重要になります。

日本政府は国産AIを諦めたわけではない

経済産業省は、日本が米国や中国と比べてAI分野の投資、開発、導入で後れを取っていると認めています。

そのうえで、日本が強みを持つ工場、物流、建設、医療、介護、防災などの現場データを活用し、フィジカルAIへ重点的に取り組む方針を示しました。[2]

これは、日本政府がChatGPTのような基盤モデルの開発を完全に断念したという意味ではありません。

政府の戦略には、国内のマルチモーダル基盤モデル、ロボット向け基盤モデル、高品質なデータセット、計算資源、実証環境を整備する方針が明記されています。[1]

AI Robot Associationは、2027年6月頃をめどに、国内のロボット基盤モデルのベータ版をオープンソースとして公開する計画です。[1]

日本の政策は、汎用AIを放棄するものではなく、国内の産業基盤と結びつくAIへ重点を移そうとするものです。

現在の状況

2040年に約20兆円の市場獲得を目指す

政府は、AIロボットを含む市場が2040年に約60兆円規模へ拡大する可能性があると見ています。

そのうち30%超、約20兆円を日本企業が獲得することが目標です。[1]

現在の産業用ロボット市場では、日本企業は高い競争力を持っています。

経済産業省の資料によると、産業用ロボット市場における日本企業のシェアは約70%です。一方、サービスロボット市場では約12%にとどまります。[2]

工場で決められた作業を正確に繰り返す産業用ロボットでは、日本企業が長年にわたって強みを築いてきました。

しかし、複雑な環境を認識し、柔軟に判断し、複数の作業へ対応する次世代ロボットでは、AIモデルと機械を一体的に設計する能力が必要です。

政府も、日本がAIの実装や統合設計で出遅れていると認識しています。[1]

約3873億円をマルチモーダル基盤モデルへ投入

経済産業省の2026年度予算には、「AIロボット・フィジカルAIを見据えたマルチモーダル基盤モデル開発事業」として、3873億円が計上されています。[3]

マルチモーダル基盤モデルとは、文章だけでなく、画像、映像、音声、センサー情報、機械の動作データなど、複数の種類の情報を処理できるAIモデルです。

ロボットが現実世界で動くためには、周囲を認識し、人間の指示を理解し、状況に応じて行動を変える必要があります。

約3873億円の事業は、フィジカルAIに関係する企業へ一律に資金を配る制度ではありません。

国内のAIモデル開発、計算資源、データ収集、実証環境などを整え、ロボットや機械に応用できる技術基盤を作ることが目的です。

中国の産業用ロボット導入台数は日本の約6.6倍

日本が産業用ロボットで強みを持つ一方、中国は導入規模で大きく先行しています。

国際ロボット連盟によると、2024年の産業用ロボットの新規導入台数は、中国が29万5045台、日本が4万4453台でした。[4]

2024年の産業用ロボット新規導入台数
中国29万5045台
日本4万4453台
米国3万4164台

中国は、世界全体の新規導入台数の54%を占めています。

日本と比べると約6.6倍です。

この数字は、各国で稼働するすべてのロボットの累計台数ではありません。2024年の1年間に新たに導入された台数です。

それでも、中国の製造現場が持つ規模の大きさを示しています。

中国ではロボット訓練センターが拡大

中国では、ロボットを実際に動かし、AI学習用のデータを収集する訓練センターの整備が進んでいます。

北京市石景山区では、約3000平方メートルの施設に100台を超える人型ロボットを配置し、清掃、ベッドメーキング、植物への水やり、農作物の収穫などの作業データを集めています。[5]

中国各地では、地方政府の支援を受けた訓練センターが相次いで設置されています。

Rest of Worldは、2025年末までに40を超えるセンターが発表され、そのうち約24拠点が稼働していたと報じています。[6]

大量のデータを集めれば、自動的に優れたAIが完成するわけではありません。

データの品質、作業の多様性、機種を超えた転用可能性、モデルの性能、安全性、知的財産権の管理も重要です。

それでも、中国が国家規模でデータ収集基盤を整えようとしていることは、日本にとって無視できない動きです。

米国はAIソフトウェアと計算資源で先行

米国企業は、ロボットを動かすAIモデルの開発環境でも先行しています。

NVIDIAは2025年1月、フィジカルAI向けの基盤モデル開発プラットフォーム「Cosmos」を発表しました。[7]

Cosmosは、映像データを処理、整理、ラベル付けし、現実世界を理解するAIモデルの開発を支援します。

NVIDIAによると、Blackwell GPUを利用すれば、2000万時間分の映像を14日間で処理できます。CPUだけで同じ作業を行う場合、3年以上かかるとしています。[7]

これは、Cosmosが2000万時間分の映像をすでに学習したという意味ではありません。

重要なのは、大量の映像を短期間でAI学習に使える形へ整理する基盤が提供されていることです。

米国は、AIモデル、GPU、開発ツール、クラウド、スタートアップ資金を一体的に動かせる環境を持っています。

注目されるポイント

フィジカルAIは競争の少ない市場ではない

日本がフィジカルAIを重点化することには合理性があります。

日本企業は、産業用ロボット、精密部品、センサー、制御技術、半導体材料、製造装置、品質管理、安全設計で蓄積を持っています。

工場、物流、医療、介護、防災など、現場でしか得られないデータもあります。

一方で、フィジカルAIは日本だけが強い分野ではありません。

米国はAIモデルと計算資源で先行しています。中国は製造規模、ロボット導入台数、部品供給網、データ収集体制で存在感を高めています。

生成AIと同様に、フィジカルAIでも、資金、データ、モデル、半導体、ソフトウェアの競争が続きます。

日本の強みは部品単体ではなく統合力

日本には、半導体材料や製造装置で高い世界シェアを持つ企業があります。

産業用ロボットの部品、精密機械、工作機械でも競争力があります。

ただし、「日本は材料と製造装置だけを売る裏方に徹するべきだ」と結論付けるのは早計です。

部品や装置を供給するだけでは、AIモデル、データ、ソフトウェア、サービスから生まれる付加価値を海外企業に委ねることになります。

日本が目指すべきなのは、現場の課題を理解し、機械、部品、AIモデル、運用ノウハウを組み合わせることです。

工場の検査、物流倉庫の搬送、建設現場の安全管理、介護施設の支援業務など、具体的な課題を解決する仕組みを作れるかが重要になります。

現場データを活用できる仕組みが必要

日本の製造業には、長年にわたって蓄積された現場データがあります。

しかし、データが存在することと、AI学習に活用できることは別の問題です。

企業ごとに形式が異なるデータを整理し、機密情報を守りながら共有し、AIモデルの改善につなげる仕組みが必要です。

特に、製造業のデータには、企業の競争力を左右するノウハウが含まれます。

無条件に公開するのではなく、安全性、知的財産権、契約、サイバーセキュリティーを考慮したデータ基盤を整える必要があります。

安全性と信頼性は競争力になり得る

現実世界で動くロボットには、高い安全性が求められます。

文章生成AIが誤った回答を出す場合と異なり、工場、道路、病院、介護施設で動くロボットの誤作動は、人命や設備に影響する可能性があります。

日本企業が蓄積してきた品質管理、安全設計、現場運用のノウハウは、フィジカルAIでも重要です。

国際標準、安全認証、保守体制、責任分担のルール作りに関与できれば、日本企業の競争力につながる可能性があります。

今後の見通し

日本のフィジカルAI戦略は、米国や中国と同じ規模で汎用AIの資金競争を行うことが難しいという現実を踏まえたものです。

製造業、ロボット、部品、装置、現場データを生かす方向性には一定の合理性があります。

ただし、日本が自動的に優位に立てるわけではありません。

米国企業は、AIモデル、GPU、クラウド、開発ツールを組み合わせています。中国は、大規模な製造現場、量産力、部品供給網、政策支援を活用し、ロボットの実装を急いでいます。

日本に必要なのは、研究開発支援だけではありません。

工場、物流、医療、介護、防災などでロボットを実際に導入し、現場で得られたデータをモデルの改善へ戻す循環を作ることが重要です。

スタートアップが大型資金を調達できる環境、企業間でデータを安全に共有する仕組み、導入を促す調達制度、国際標準への関与も必要になります。

2040年に世界市場の30%超、約20兆円を獲得するという目標は、野心的なものです。

成否を左右するのは、日本が従来の製造業の強みに依存するだけでなく、AIモデル、データ、ソフトウェア、サービスを含む新しい産業基盤を築けるかどうかです。

引用URLs

[1] 経済産業省:AIロボティクス戦略 概要
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/joho/conference/seichosenryakuwg/aisemicon02/shiryo04-1.pdf

[2] 経済産業省:半導体・デジタル産業戦略に関する資料
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/joho/conference/semicon_digital/0015/handeji15-4.pdf

[3] 経済産業省:令和8年度 経済産業省予算の概要
https://www.meti.go.jp/main/yosan/yosan_fy2026/pdf/01.pdf

[4] International Federation of Robotics:World Robotics 2025 — Industrial Robots, Executive Summary
https://ifr.org/img/worldrobotics/Executive_Summary_WR_2025_Industrial_Robots.pdf

[5] 北京市人民政府:Beijing’s First Humanoid Robot Data Training Center Inaugurated
https://english.beijing.gov.cn/latest/news/202504/t20250416_4066130.html

[6] Rest of World:Inside China’s state-backed robot training centers
https://restofworld.org/2026/china-robots-training-centers-workers/

[7] NVIDIA:NVIDIA Launches Cosmos World Foundation Model Platform to Accelerate Physical AI Development
https://nvidianews.nvidia.com/news/nvidia-launches-cosmos-world-foundation-model-platform-to-accelerate-physical-ai-development

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