イラン抗議デモの長期化は中国にも影響する?:習政権が恐れる「白紙運動」再来リスク

はじめに
2025年末からイランで拡大している抗議デモは、当局による通信遮断や強硬な弾圧が報じられる一方、収束の見通しが立っていません。こうした「経済悪化を起点に全国へ広がる抗議」の構図は、中国にとっても他人事ではありません。中国が本当に恐れるのは、デモがそのまま中国で発生すること以上に、抗議の“やり方”や“成功体験”が学習されることです。
背景と概要
イランでは、生活苦や通貨安など経済的な不満を背景に抗議が各地へ波及し、当局が大規模なインターネット制限・遮断に踏み切ったと伝えられています。外部からの情報検証が難しく、死傷者数などは「数百規模」とする推計から「数千規模」とする推計まで幅がありますが、少なくとも国内の緊張が極めて高い状態にあるのは確かです。
この局面で注目されるのが、中国側の受け止めです。中国はイランと戦略的関係を持つ一方、国内統治の観点からは「抗議の連鎖」や「抗議の学習」を強く警戒します。とりわけ2022年末に発生した、ゼロコロナ政策への反発を起点とした一連の抗議(いわゆる白紙運動)の記憶が、中国の政治・治安当局に残っているためです。
現在の状況
イラン国内では通信制限が続く中、抗議の規模や治安部隊の対応をめぐる情報が錯綜しています。国際社会では、欧州首脳や国連などが強い懸念を表明し、制裁を含む対応が議論されていると報じられています。ドイツのフリードリヒ・メルツ首相が「体制は最後の数日〜数週間」といった趣旨の見解を示した、との報道も出ています。
一方、中国政府は公式には「安定の回復」「外部勢力の介入反対」といった枠組みで発信し、イラン情勢が自国世論に転化しないよう距離感を調整しているように見えます。国内面では、海外の抗議運動を国内政治に結びつける言説が広がること自体を、検閲・治安の対象として管理する動機が強いと考えられます(白紙運動でも、投稿削除や取り締まりが広範に行われたことが確認されています)。
注目されるポイント
1) 中国が恐れるのは「連鎖」より「学習」
中国で直ちに全国規模の抗議が起きる、という単純な見立ては現実的ではありません。むしろ重要なのは、抗議の組織化、弾圧回避、情報拡散、長期化の耐え方といった“運用ノウハウ”が、SNSや口コミで共有されてしまうことです。
白紙運動の経験が示したのは、政治思想よりも「生活実感の限界」が点火装置になり得る、という点でした。
2) 中国経済の弱点は「体制の正当性」を揺らしやすい
中国では不動産不況、地方財政の圧迫、家計や若年層の将来不安などが重なり、経済が政治の正当性を下支えする力が弱まりやすい局面が続いています。直近でも不動産大手や金融面の不安を示す報道があり、統治側にとっては「景気の減速=統治コストの上昇」になりやすい環境です。
このため、イランのように「経済起点で、特権層への怒りが乗る」抗議モデルは、北京にとって最も嫌なタイプの前例になり得ます。
3) 「起点」は政治中心ではなく生活密着型になりやすい
中国で不満が噴き上がる場合、最初から体制打倒スローガンが前面に出るとは限りません。
想定される起点は、例えば次のような“生活密着型”になりがちです。
・未完成住宅(不動産問題)
・賃金遅配、公務員給与の遅れ、社会保障の不安
・若年層の雇用不安、中小企業の資金繰り
こうした局地的な不満が「自分の街だけの問題ではない」と認識された瞬間に、政治問題化しやすくなります。中国当局が警戒する転換点は、まさにここです。
4) 中国は「支える準備」と「切る準備」を同時に進めやすい
対外的にはイランとの関係を維持しつつ、情勢が悪化すれば自国への延焼を避けるために、情報・人流・金融面で遮断を強める――この二段構えになりやすいのが中国の現実主義です。
したがって「中国がイランを全面的に支える」と断定するより、「秩序維持を望むが、損切りも想定する」と見る方が実態に近いでしょう。
今後の見通し
イラン情勢は、通信遮断下で情報が不透明なまま、次のいずれかに傾きやすい状況です。
・弾圧強化で一時沈静化するが、経済悪化で再燃する
・抗議が長期化し、治安機構や政治エリートに亀裂が入る
・対外的緊張(米国の圧力など)が上乗せされ、危機が複線化する
中国側については、「イラン型の大規模抗議がそのまま中国で再現される」よりも、次の動きが現実的です。
・海外抗議を国内問題に結びつける投稿や検索の抑制が強まる
・治安機関(武装警察など)の統制・待遇・忠誠管理が優先される
・景気刺激や雇用対策を通じて、生活不満の点火を遅らせる
結局のところ、習政権が最も恐れるのは「怒り」そのものではなく、「我慢しても報われない」という認識が社会に広がり、治安機構が迷い始める瞬間です。白紙運動の記憶が消えない以上、イラン情勢は中国にとって“遠い国の騒乱”ではなく、統治上のリスク管理の教材として扱われ続ける可能性が高いと言えます。

