なぜ中央銀行は金を買い増すのか?ドル依存と制裁リスクから読み解く

はじめに

世界の中央銀行が、金(ゴールド)を高い水準で買い増しています。

World Gold Councilによると、中央銀行による金の純購入量は2022年、2023年、2024年の3年連続で1000トンを超えました。2025年は863トンと1000トンを下回りましたが、それでも過去の平均と比べれば高い水準です。

一方、世界の外貨準備に占める米ドルの比率は、長期的に低下しています。IMFの統計では、2025年第4四半期時点で米ドルの比率は56.77%でした。2000年前後には70%前後だったことを考えると、ドル一極への依存は少しずつ弱まっています。

ただし、これは「ドルが終わった」という話ではありません。米ドルは依然として世界最大の準備通貨です。

重要なのは、各国がドルを捨てているのではなく、ドルだけに依存するリスクを減らそうとしていることです。その受け皿の一つとして、金が再び注目されています。

背景と概要

外貨準備とは何か

国は、海外との取引や金融危機に備えて、外貨準備を保有しています。

外貨準備とは、簡単に言えば、国が緊急時に使える対外支払い用の資産です。通貨危機が起きたとき、自国通貨を買い支えるために使われることもあります。輸入代金や対外債務の支払いに備える意味もあります。

外貨準備の中身は、主に次のような資産です。

米ドル建て資産
ユーロ建て資産
日本円や英ポンドなどの主要通貨建て資産
国債
外貨預金

国際通貨基金の特別引出権

長い間、外貨準備の中心は米ドルでした。

米国債市場は巨大で流動性が高く、必要なときに売買しやすいからです。世界の貿易や金融取引でもドルは広く使われています。

そのため、多くの中央銀行にとって、ドルを持つことは合理的でした。

ドル比率は長期的に下がっている

米ドルは今も世界最大の準備通貨です。

しかし、比率は下がっています。

IMFのCOFER統計によると、2025年第4四半期の世界の外貨準備に占める米ドルの比率は56.77%でした。ユーロは20%前後、日本円、英ポンド、中国人民元などがそれに続きます。

2000年前後には、ドル比率は70%前後ありました。

つまり、急激な崩壊ではありませんが、長期的にはドルの比重が下がり、各国が準備資産を分散させていることが分かります。

ここで重要なのは、ドルが不要になったわけではないという点です。

米国債市場の規模、ドル決済の利便性、米国金融市場の厚みは今も圧倒的です。短期的にドルの地位をそっくり置き換えられる通貨は見当たりません。

それでも、中央銀行は「ドルだけでよい」とは考えにくくなっています。

その理由の一つが、地政学リスクです。

金はユーロを抜いて第2の準備資産になった

欧州中央銀行は、2024年に金が市場価格ベースでユーロを抜き、米ドルに次ぐ世界第2の準備資産になったと説明しています。

これは、中央銀行が金を買い増したことに加え、金価格そのものが上昇したためです。

金は利息を生みません。

米国債を持っていれば利子が入ります。ユーロ建て債券でも、条件によっては利回りを得られます。

一方、金は金庫に置いておくだけでは何も生みません。むしろ保管費用がかかります。

それでも中央銀行が金を持つのは、金には他の資産にない性質があるからです。

金は、どこかの政府や中央銀行が発行した債務ではありません。

米国債は、米国政府に対する請求権です。外貨預金は、金融機関や中央銀行の信用に依存します。

しかし、現物の金は、それ自体が資産です。

誰かの約束に依存しない資産であることが、金の大きな特徴です。

現在の状況

2022年のロシア外貨準備凍結が転機になった

中央銀行の金買いが加速した背景には、2022年のロシアによるウクライナ侵攻があります。

侵攻後、米国、欧州連合、日本などは、ロシア中央銀行の外貨準備を凍結しました。

米財務省は2022年2月28日、米国人に対して、ロシア中央銀行、ロシア国家福祉基金、ロシア財務省との取引を禁止しました。この措置により、米国内または米国人が関係するロシア中銀資産は、事実上動かせなくなりました。

凍結されたロシアの外貨準備は、約2800億ドルから3000億ドル規模と推計されています。

この出来事は、多くの国に強い印象を与えました。

外貨準備は、国が危機に備えて持つ資産です。しかし、その資産が他国の金融システム上に置かれている場合、制裁によって使えなくなる可能性があります。

特にドル建て資産は、米国の金融システムや制裁制度の影響を強く受けます。

これは、ドルが危険な通貨になったという単純な話ではありません。

米ドルは依然として最も流動性の高い国際通貨です。

しかし、外貨準備が政治的な制約を受けることが、以前よりも明確になりました。

金は「止められにくい資産」として再評価された

ロシア外貨準備の凍結後、各国の中央銀行は一つの現実を意識するようになりました。

それは、外貨準備にも「止められる資産」と「止められにくい資産」があるということです。

ドル建て預金や米国債は、流動性が高く、利息も得られます。

一方で、発行国や決済網、保管先、制裁制度の影響を受けます。

これに対して、自国で保管する現物の金は、外国政府が一方的に凍結しにくい資産です。

もちろん、金にも制約はあります。

国際市場で売るには、取引相手、輸送、保険、決済、保管先のルールが関係します。海外に預けている金であれば、保管国の政治リスクも受けます。

それでも、自国の金庫に保管されている金は、外貨預金や外国国債とは性質が異なります。

中央銀行にとって金は、短期的に利益を得るための資産というより、非常時に備える保険に近いものです。

インドが金を国内へ戻した意味

この流れを象徴する動きの一つが、インドです。

2024年、インド準備銀行は、英国に保管していた金を100トン超、自国の金庫へ移したと報じられました。

インドが海外に金を保管してきたこと自体は、不自然なことではありません。

多くの中央銀行は、金の一部をロンドンやニューヨークなどの金融センターに置いています。流動性が高く、国際取引に使いやすいからです。

ただし、地政学リスクが高まるなかで、保管場所の意味は変わっています。

所有権が自国にあっても、金が外国の金庫にある場合、非常時にすぐ動かせるとは限りません。

インドの動きは、金を増やすだけでなく、「どこに置くか」も経済安全保障の一部になっていることを示しています。

金を持つことと、金を自国で管理できることは同じではありません。

中国は米国債保有を減らしている

中国も、準備資産の分散を進めている国の一つです。

米財務省のTIC統計によると、中国本土の米国債保有額は、2013年11月に約1兆3167億ドルでピークを付けました。その後は減少し、2026年3月には約6523億ドルとなっています。

単純に見ると、ピークからほぼ半減したことになります。

ただし、この数字だけで「中国が米国債を一気に売っている」と判断するのは早計です。

米国債の保有は、名義、保管地、第三国経由の取引、為替介入、外貨準備全体の運用方針によって見え方が変わります。

それでも、中国が外貨準備の中で米国債への依存を下げ、金などの資産を増やしている方向性は確認できます。

中国にとっても、米ドル建て資産は重要です。

貿易、為替管理、金融安定のために、ドル資産を完全に手放すことは現実的ではありません。

しかし、米中対立が長期化するなかで、米国の金融システムに依存しすぎない準備構成を目指す動機は強まっています。

2025年も中央銀行の金買いは高水準だった

2025年の中央銀行による金購入は863トンでした。

2022年から2024年までの1000トン超には届きませんでしたが、World Gold Councilは、歴史的に見れば依然として高い水準だと説明しています。

2025年の最大の買い手はポーランド国立銀行で、102トンを買い増しました。

中央銀行の金買いは、一部の国だけの動きではありません。地理的にも広がりがあります。

これは、単なる投機ではなく、準備資産の分散、インフレへの備え、地政学リスクへの対応として理解する方が自然です。

注目されるポイント

金は誰かの債務ではない

準備資産としての金の最大の特徴は、誰かの債務ではないことです。

国債は、発行国の支払い能力と信用に依存します。

銀行預金は、金融機関や預金保険制度の信用に依存します。

外貨は、その通貨を発行する国の金融政策、財政、政治制度に影響されます。

一方、金はそれ自体が現物資産です。

金を保有している国は、他国政府や民間金融機関の支払い約束を待つ必要がありません。

この性質は、平時にはあまり目立ちません。

しかし、制裁、戦争、金融危機、通貨不安が起きると、金の意味は大きくなります。

金は利息を生まないが、発行されない

金には弱点もあります。

第一に、利息を生みません。

第二に、保管費用がかかります。

第三に、価格変動が大きく、短期的には大きく下落することもあります。

それでも金が買われるのは、金が通貨のように発行されないからです。

中央銀行は、自国通貨を増やすことができます。

政府は、国債を発行して資金を調達できます。

危機時には、金融緩和や財政出動によって、通貨供給量が大きく増えることがあります。

金は違います。

採掘によって地上在庫は少しずつ増えますが、通貨のように短期間で大量発行することはできません。

この供給の硬さが、金の価値保存機能を支えています。

「脱ドル」ではなく「分散」と見るべき

中央銀行の金買いを、「世界がドルを捨てている」と見るのは行き過ぎです。

ドルは今も世界最大の準備通貨です。

国際貿易、金融市場、資源取引、債券市場、銀行決済で、ドルの役割は依然として大きいです。

ユーロ、中国人民元、日本円、英ポンドも重要ですが、ドルを完全に置き換える存在にはなっていません。

したがって、現在起きているのは「脱ドル」というより、「ドル依存の分散」です。

中央銀行は、ドルを持ち続けながら、金の比率を高めています。

これは、ドルへの信認が一気に崩れたというより、ドルだけに頼ることのリスクが以前より意識されるようになったということです。

金とドルは役割が違う

金とドルは、単純に優劣を比べるものではありません。

それぞれ役割が違います。

資産強み弱み
米ドル・米国債流動性が高い、利息がある、国際決済に使いやすい米国の政策、制裁、財政、金利の影響を受ける
発行主体がない、誰かの債務ではない、制裁で凍結されにくい利息がない、保管費用がかかる、価格変動が大きい
ユーロドル以外の主要通貨として使える単一の安全資産市場が米国ほど大きくない
人民元中国との貿易で使いやすい資本規制、透明性、国際信認の制約がある

ドルは使いやすい資産です。

金は止められにくい資産です。

中央銀行が金を増やしているのは、ドルの代替を金だけで担わせようとしているからではありません。

危機時の選択肢を増やすためです。

米国財政への懸念も背景にある

金が再評価される背景には、米国財政への不安もあります。

米国の連邦債務は増加を続けており、利払い負担も重くなっています。複数の財政分析では、米国の純利払いが国防支出を上回ったとされています。

米国債は今も世界で最も重要な安全資産の一つです。

しかし、財政赤字が続き、債務残高が増えれば、長期的な信認をめぐる議論は避けられません。

中央銀行が金を増やしている背景には、制裁リスクだけでなく、ドル資産そのものへの集中を避けたいという動機もあります。

今後の見通し

中央銀行の金買いは続く可能性がある

中央銀行の金購入は、2022年から2024年までの異例の水準からはやや鈍化しました。

それでも、2025年の863トンという数字は高水準です。

地政学リスク、米中対立、ロシア制裁、米国財政への不安、インフレへの警戒が続く限り、中央銀行が金を一定程度買い増す流れは続く可能性があります。

ただし、金価格が高くなりすぎれば、買い増しのペースは鈍ることも考えられます。

中央銀行は投資家ではありません。

短期的な値上がり益を狙って金を買っているわけではなく、準備資産の安定性と分散を重視しています。

ドル基軸体制はすぐには崩れない

金の保有が増えているからといって、ドル基軸体制がすぐに崩れるわけではありません。

米国債市場の規模、ドル決済の利便性、米国金融市場の深さ、法制度、軍事力、同盟網は、今も大きな影響力を持っています。

ユーロは有力な代替通貨ですが、米国債市場ほど一体的で巨大な安全資産市場を持つわけではありません。

人民元は中国経済の規模を背景に存在感を高めていますが、資本規制や制度の透明性という課題があります。

そのため、短期的にはドルの地位は維持される可能性が高いです。

一方で、各国が準備資産を多様化する流れは続くと考えられます。

これからの国際通貨体制は、ドル一極から、金、ユーロ、人民元、その他通貨を組み合わせる多極的な構造へ、ゆっくり移っていく可能性があります。

金は「儲ける資産」ではなく「備える資産」

個人投資の文脈では、金価格の上昇が注目されがちです。

しかし、中央銀行が金を買う理由は、個人が短期売買で利益を狙う理由とは異なります。

中央銀行にとって金は、次のような意味を持ちます。

外貨準備の分散
制裁リスクへの備え
通貨不安への保険
インフレへの防御
地政学リスクへの対応

金は価格変動が大きく、常に安全な投資対象というわけではありません。

利息もありません。

それでも、発行主体がなく、誰かの債務でもなく、政治的な決済網から相対的に距離を取れる資産として、中央銀行に再評価されています。

日本にとっての意味

日本にとっても、この流れは無関係ではありません。

日本は米国との同盟関係が強く、ドル資産を保有することの政治リスクは、中国やロシアとは異なります。

それでも、世界の準備資産がどのように変化しているかを理解することは重要です。

国際金融の前提が変われば、為替、金利、資源価格、国債市場にも影響します。

ドルの地位が急に崩れる可能性は低いですが、各国が少しずつ金を増やし、ドル依存を下げる動きは、国際秩序の変化を映しています。

金が買われている理由は、単に価格が上がっているからではありません。

各国が、他国の金融システムに依存しすぎることのリスクを意識し始めたからです。

金は古い資産です。

しかし、制裁、戦争、インフレ、財政不安が重なる時代には、その古さこそが強みになります。

中央銀行が金を買い増しているのは、過去へ戻っているからではありません。

不確実な時代に備えるため、止められにくい資産をもう一度、準備資産の中心に近づけているのです。

引用URLs

[1] World Gold Council:Central Banks — Gold Demand Trends Full Year 2024
https://www.gold.org/goldhub/research/gold-demand-trends/gold-demand-trends-full-year-2024/central-banks

[2] World Gold Council:Central Banks — Gold Demand Trends Full Year 2025
https://www.gold.org/goldhub/research/gold-demand-trends/gold-demand-trends-full-year-2025/central-banks

[3] IMF:Currency Composition of Official Foreign Exchange Reserves, 2025 Q4
https://data.imf.org/en/news/imf%20data%20brief%20march%2027

[4] European Central Bank:The international role of the euro, June 2025
https://www.ecb.europa.eu/press/other-publications/ire/html/ecb.ire202506.en.html

[5] U.S. Department of the Treasury:Treasury Prohibits Transactions with Central Bank of Russia
https://home.treasury.gov/news/press-releases/jy0612

[6] Brookings Institution:What is the status of Russia’s frozen sovereign assets?
https://www.brookings.edu/articles/what-is-the-status-of-russias-frozen-sovereign-assets/

[7] Reuters:India cenbank moves 100 tons of gold from UK to domestic vaults
https://www.reuters.com/world/india/india-cenbank-moves-100-tons-gold-uk-domestic-vaults-toi-reports-2024-05-31/

[8] U.S. Department of the Treasury:Major Foreign Holders of Treasury Securities
https://ticdata.treasury.gov/resource-center/data-chart-center/tic/Documents/slt_table5.html

[9] Trading Economics:United States US Treasuries Held by China
https://tradingeconomics.com/united-states/foreign-treasury-holdings-china

[10] Econofact:The Interest Burden of the Federal Debt
https://econofact.org/explainer/the-interest-burden-of-the-federal-debt

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