ホルムズ海峡の本当の急所は石油だけではない、海底ケーブル危機が示す「デジタル・チョークポイント」

はじめに
ホルムズ海峡は、原油やLNGの通り道として知られています。しかし、いま見落としてはならないのは、この海峡がエネルギーだけでなく、データの通り道でもあるという点です。Reutersは2026年4月28日、イラン戦争を背景に、ホルムズ海峡を通る海底通信ケーブルが地域のデジタル経済にとって脆弱な急所になっていると報じました。海峡が混乱すれば、石油価格だけでなく、通信、金融、クラウド、AIインフラにも波及する可能性があります。
つまり、ホルムズ危機は「タンカーが通れるか」という問題にとどまりません。湾岸諸国がAIやデジタル経済へ投資を進めるほど、海底ケーブルは新しい戦略インフラになります。今回の危機が示したのは、21世紀のチョークポイントでは、原油とデータが同じ海峡に集中しているという現実です。
背景と概要
海底ケーブルは、世界のインターネット通信の基幹です。Reutersは、国際電気通信連合(ITU)の説明として、海底ケーブルが世界のインターネット通信の約99%を担っていると報じています。これは、衛星通信が重要になった現在でも、国際通信の主役がなお海底の光ファイバーであることを意味します。動画配信、金融取引、クラウドサービス、企業間通信、政府通信、AI向けデータ処理は、いずれもこの見えにくいインフラに依存しています。
ホルムズ海峡周辺には、アジア、中東、欧州を結ぶ複数の主要ケーブルが走っています。ReutersとTeleGeographyは、ホルムズ海峡を通過する主要ケーブルとして、AAE-1、FALCON、Gulf Bridge International Cable Systemを挙げています。AAE-1は東南アジアから欧州へ向かい、湾岸諸国やエジプトを経由する大規模ケーブルです。FALCONはインド、スリランカ、湾岸諸国、スーダン、エジプトをつなぎ、Gulf Bridge Internationalは湾岸諸国を結ぶ地域基盤として機能しています。
これまでホルムズ海峡は、主に「世界の石油輸送の急所」として語られてきました。しかし、UAE、サウジアラビア、カタールなどがAI、クラウド、データセンター、スマートシティに巨額投資を進める中で、同じ海峡は「湾岸デジタル経済の急所」にもなっています。エネルギー依存から脱却しようとする湾岸諸国ほど、実は海底ケーブルへの依存を深めているのです。
現在の状況
現在のリスクは、ケーブルがすでに大規模に切断されたという話ではありません。問題は、戦争と海上交通の混乱によって、ケーブルが「狙われる」「傷つく」「修理できない」可能性が同時に高まっていることです。Reutersは、イラン側がホルムズ海峡の海底ケーブルを地域デジタル経済の脆弱点として警告したことを報じ、これが重要インフラ攻撃への懸念を強めたと整理しています。
海底ケーブルの事故は、平時でも珍しいものではありません。Reutersは国際ケーブル保護委員会(ICPC)のデータとして、世界の海底ケーブル障害は年間およそ150〜200件で推移していると伝えています。原因の多くは、船の錨、漁業活動、地震などであり、必ずしも軍事攻撃とは限りません。しかし、戦争中の狭い海峡では、通常なら管理可能な事故でも、修理船の安全確保、入域許可、機雷リスク、軍事行動との接触によって、被害が長期化しやすくなります。
TeleGeographyも、ホルムズ周辺のケーブル修理には専門船の入域許可が必要で、故障地点を特定した後は修理中に船が一定時間停止しなければならないため、敵対的な海域では脆弱になると指摘しています。さらに、湾岸地域の修理を担うUAE拠点のe-Marineは複数の船を持つものの、TeleGeographyの整理では、ホルムズ海峡が通れなくなった場合、湾内の修理対応能力はかなり限られる可能性があります。
注目されるポイント
第一に、海底ケーブル危機は「インターネットが完全に止まる」という単純な話ではありません。大規模ネットワークは迂回経路を持っており、一部のケーブルが損傷しても、すぐ世界全体の通信が停止するとは限りません。TeleGeographyも、湾岸諸国には陸上回線などの代替手段があり、欧州とアジアを結ぶ通信全体がホルムズ海峡だけに依存しているわけではないと整理しています。
しかし、だから安全というわけでもありません。問題は、代替経路に十分な容量があるか、遅延がどれだけ増えるか、クラウドや金融取引の品質を維持できるかです。TeleGeographyは、湾岸諸国が100%海底ケーブルだけに依存しているわけではない一方、陸上ネットワークが湾岸内の海底ケーブル損傷を完全に代替できるとは限らないと指摘しています。つまり、通信は止まらなくても、遅くなり、不安定になり、重要サービスに影響する可能性があります。
第二に、湾岸諸国のAI戦略にとって、ケーブルは見えない基盤です。UAEやサウジアラビアは、石油後の成長戦略としてAI、データセンター、クラウド、デジタル行政に投資しています。しかし、AIモデルの利用やクラウドサービス、越境データ処理は、低遅延で安定した国際通信があって初めて成立します。Reutersも、湾岸諸国のAI・デジタルインフラ投資は、海底ケーブルによる高速データ移動に依存していると報じています。
第三に、海底ケーブルは軍事的に「壊しやすく、証明しにくい」インフラです。近年、バルト海や紅海ではケーブル損傷が安全保障上の問題として注目されてきました。Reutersは、2022年以降のバルト海で少なくとも8件の疑わしい妨害事案が懸念され、米上院でも海底ケーブル妨害への対応強化が議論されていると報じています。海底ケーブル攻撃は、ミサイル攻撃のように即座に犯人を特定しにくく、グレーゾーン戦の手段になりやすいのです。
第四に、修理こそが最大の弱点です。ケーブルが切れること自体より、戦時下で修理できないことの方が深刻になる場合があります。修理船は高速で動く軍艦ではなく、故障地点で停止し、ケーブルを引き上げ、接続作業を行う必要があります。ホルムズ海峡のように機雷、拿捕、誤認攻撃のリスクがある海域では、修理船を出す判断そのものが難しくなります。Reutersも、紛争が長引くほど、事故や意図的な損傷のリスクが増し、修理も複雑になると整理しています。
第五に、衛星通信は完全な代替にはなりません。スターリンクなど低軌道衛星通信は緊急時の補完手段として重要ですが、海底ケーブルが担う膨大な容量、低遅延、低コストの国際通信をそのまま置き換えることはできません。Reutersも、衛星システムは費用と拡張性の面で限界があり、海底ケーブルの完全な代替にはならないと報じています。
今後の見通し
今後、ホルムズ海峡の海底ケーブル問題は、エネルギー安全保障とデジタル安全保障を結びつける論点として重要性を増す可能性があります。米国は、ホルムズ海峡の航行再開と海上交通の安定化に向けた新たな国際枠組みを模索しているとReutersが報じていますが、その中ではエネルギー輸送だけでなく、重要海上インフラの保護も対象になっています。つまり、海峡を守るとは、タンカーだけでなく、海底ケーブルや港湾、データ接続を守ることでもあるのです。
各国に求められるのは、単にケーブルを増やすことではありません。必要なのは、複数ルート化、陸上バックアップ、修理船の安全確保、ケーブル位置情報の管理、民間通信事業者と軍・政府の連携、そして平時からの復旧訓練です。湾岸諸国にとっては、AI国家戦略を掲げるなら、データセンターだけでなく、そこへ出入りする国際通信ルートの冗長性まで含めて設計する必要があります。
日本にとっても、この問題は遠い話ではありません。日本のエネルギーは中東に深く依存しており、同時に日本企業のクラウド、金融、物流、製造ネットワークもグローバル通信に依存しています。ホルムズ危機を石油だけで見ると、備蓄や代替調達の話に閉じてしまいます。しかし、データの流れまで含めて見ると、これは世界経済の神経網が戦争のリスクにさらされている問題です。
したがって、ホルムズ海峡の本当の重要性は、原油とデータが同じ地理的急所を共有している点にあります。20世紀のホルムズ海峡は石油のチョークポイントでした。21世紀のホルムズ海峡は、石油、LNG、金融、クラウド、AIを同時に揺らすデジタル・チョークポイントになりつつあります。この変化を見落とすと、中東危機の本当の波及力を過小評価することになるでしょう。
